4/26 インターホン
研究室から自分の部屋の扉の前まで帰ってくると、ふとあることに気づく。
「そういえば自分の部屋のインターホンって押したことないな。」
世紀の大発見をしたような気持ちになり、押してみる。誰も出るはずがないとわかっていても、何度も何度も押してみる。
4/23 ややこしいキャラ
研究室生活が始まり、はや三週間。研究室の先輩や同回と仲良くなるため、各々の様々な個人的な情報を話題にしてきた。このような期間は、今後のその人のキャラを決定していくため大事な時期である。
今までに公開した情報で自分は以下のような人になっている。
桂キャンパスなのに吉田から通っている。下宿にプロジェクターがあり映画を見るのが趣味(とはいえジブリやメジャーな映画は見ていない)。革小物を調べるのが好き。好きな音楽は何かと聞くくせに、自身はサブカル。小学生の頃関西のけん玉大会でベスト8。球技は得意だが、ほとんど泳げない。木村文乃が好きで結婚時大ショックを受けた。高校生の時に好きな作家さんの読者会に行ったら女性99人男性1人(自分)だった。
こんなところだろうか。うーん確かにごちゃごちゃしててよくわからない。
今日お昼ご飯を研究室の人達と食べていると、
「中高部活なにやってたん?」
と聞かれたので、
「中学は将棋部で、高校はお喋り部という名の帰宅部です」
と答えると、
「え!?その肩幅で!?」
と言われた。何かスポーツをやっていたと思われていたらしい。
「本当にキャラがややこしいね」、もはや濃いとか薄いとかではなくややこしいである。ややこしいという意味で濃いならまだ良いが、ただただややこしいだけなら少し悲しい。
この状況で「昭和のアイドル好き」などカミングアウトしようものならどうなるのだろうか。日々そわそわしながら、「色々変な人」ではなく「少しつかみ所のない人」ぐらいのキャラを目指すこの頃である。
4/23 鴨川
朝の光で目がさめる。8時20分。布団を蹴り上げ、勢いよく飛び起きたが、なんてことはない、今日は日曜日である。安心して二度寝につこうとするも、寝つけず、仕方なく起きる。
眼鏡をつけ、窓の外に目を見やる。
天気記号が空に浮かぶような快晴である。
これは外に出ないと。そそくさと昼食と着替えをすませ、下宿を出る。
まず友人がバイトをしているパン屋に向かう。三種類パンを選んで、レジに並ぶ。友人がお客さんを前に、慣れた手つきで真剣にレジを打っているのを見ると、たいそう不思議な気持ちになる。しかし、自分のことを見つけると、いつもの友人としての顔に戻る。この時の感覚を常々言葉にしたいのだが、その都度失敗し、たいそうもぞもぞする。
鴨川に向かう。いつもなら人が少ない北の方で本を読むのだが、あまりにも賑やかなので、惹きつけられて、デルタに降りる。
前方には、父親と息子と娘で川の中の魚を取ろうとしている家族。女の子は明らかに体格に見合わない大きな網を持ち、男の子は長ズボンを短パンほどまで捲っている。魚がとれたのか確認するため、網の中を父親と娘が同時に見ると、頭がぶつかり、互いに目を見合わせ笑う。
後方には、大学生の新入生らしき集団。少し聞き耳を立ててみると会話に大した中身はない。しかしそのような馴れ合いが一番楽しいことは知っている。
右方には、父親を娘と母親がはさみ、川の字で寝転がる家族。どこから、どのような経緯で、ここへきて寝転がっているのか想像する。今後の予定をわいわいと話し合っている。
左方には、同じ大学に通っているであろう、男子三人組。特に会話も交わすことなく、本を読んだり、スマホを触ったりしている。自分は沈黙が訪れると無理にでも何か喋ろうとしてしまう質だが、沈黙を気まずいと思うことなく過ごせるのはとても良い関係だと思う。
このように四方を、鴨川に対して「絵」になるようなものに囲まれながら、大好きな川上弘美の日記を読む。
もしかしたら自分も周りから見れば、「鴨川のほとりで一人で読書する男子大学生」という「絵」の一員になっているのではないかなどと想像し、のんびりとしたひと時を過ごす。
座っている場所が日陰になり少し寒くなってきた。帰りに生活用品を買って、下宿でのんびりして、明日からまた頑張ることとしよう。
最後に川上弘美の日記の中で、一番印象に残った文章を残しておく。
「ツボ押し器を三種類買う。蛙の形のものと、四面体のものと、杖型のもの。蛙の形のものを「タツヤ」と名づける。タツヤという名の人に知り合いがいないので。でもちょっと知り合ってみたい名前なので。
夜、タツヤに腰と肩のツボ押しをさせたけれど、あまり効かない。」
(東京日記「卵一個ぶんのお祝い。」/川上弘美)
うんうん、このようなものの感じ方をできることが羨ましいし、それを文字に起こせるのも素晴らしいと思う。大ヒットを生むような作風ではないが、これからも長く作品を読ませてもらうであろう、大好きな作家さんである。
4/22 知らないほうがいいこと
「知らないほうがいいこともある」
この言葉が漫画や映画に出てくると、そのことを知ってしまうと事件に巻き込まれてしまうような気もするが、今書きたいのはそんな仰々しいことではない。
青い空の中を白い雲がゆっくりと動く。その下にはどこまでも続くような真っ青な海。波が不思議と等間隔に打っていく。
こんな情景を今まで目にしたとき、見たまんまの感想にしか取れなかった。
「空めっちゃ青いなー雲白いなーえらいゆっくり動くなー海もめっちゃ青いなー波打つのみてたら落ち着くなー」
とこんな感じである。
しかし今では、空や海が青く、雲が白い理由も、雲が動く速度も、波が等間隔に打つ理由も物理学的に理解できることがわかっている。身の回りの事象が物理学で解明できる、これは確かに面白いことではあるものの、過去のような見たまんまの感想を100%で感じられなくなってしまったのは少し悲しい。波が等間隔に打つ理由など知りたくなかった、不思議だなで留めておくほうが趣深い気がするのだ。
それと似たようなことが京都にも言える。近い将来に京都を離れるだろうが、確かにいろいろな場所を開拓しておきたいという気持ちもある。しかし、全てを網羅してまうと、京都がなにかミステリアスで魅力的な場所として自分の中に後から印象づけられないような気もするのだ。
「結局大学にいる間に回りきれなかったけど京都ってなんかいいよね」
くらいの言葉が大学院卒業時に出るくらいに開拓していきたいものだ。もっとも、全て網羅できる可能性は著しく低いので、遠慮せずに積極的に開拓していくくらいが丁度いいのかも知れない。
4/16
昨日はとても満足した一日を過ごせて、今日はもう寝るだけかなと思っていた矢先に、後輩からお酒のお誘いがきた。外に飲みに行こうかなと思っていると、同回の酔っ払いが今から家に行っていいかと電話がきたのでうちの下宿で飲むことになった。
とりあえず3人でスタートし、その場で誘える人をどんどん誘っていくと、最終的に4回生5人、3回生が4人という大所帯になった。4回生の1人はわざわざ桂から来てくれた。ありがたやありがたや。3回生の女の子は、3回生の男の子を変身させたいと言って、眉毛を整える謎の会が始まった。自分の道具を使ったので、少々手伝ったが、酔っ払っているのもあり手がプルプル震えた。3回生からしたら怖くてしょうがなかっただろうが、眉はきれいになったから結果オーライなのか(?)
結局その会は3時前まで続いたが、久しぶりに長時間後輩を含めた友達とアホな話をしながらお酒を窘めたのは良かった。
そして今日、僅かな睡眠時間で向かった先は、TOHOシネマズ二条である。Uぇぶたそが誘ってくれて、監督、脚本家とキャラクター原案のイラストレーターの舞台挨拶がついた「夜は短し歩けよ乙女」を観に行った。観るのは1週間ぶり2回目だが、小ネタにたくさん気づいて面白かった。作者の森見さんも一回で消化しきれなかったと言っていたらしいので、複数回見ることで面白みが増していくスルメ映画なのかもしれない。映画を見た人に感想を聞きたいのでみなさん教えてください。舞台挨拶で映画制作の裏側を聞くのは、この世界の片隅にを見た以来であったが(この時もUぇぶたそと見に行った)、やはり面白ものだなぁ。
その後市役所前に自転車を置き、ムービックスの真ん前の建物の二階にあるお好み焼き屋さんに行った。どこのお店も日曜日ということでめちゃくちゃ混んでいるのに、異様に空いていた。ご飯を食べた後、ムービックスの前の通りを行き来する人たちを見て、あの子タイプやわゲームが始まった。あーわかるわぁなどと盛り上がりながら、大変阿呆な1時間を過ごした。
事件はその後に起きた。自転車を取りに帰ったところ、Uぇぶたそのクロスバイクがない。撤去だったらいいが、盗まれたならと嫌な予感が走る。結局撤去されていたらしく本当に良かった。以前その自転車が盗まれていた時のことを知っていて、なんならそのことを思い出話として話していた直後の出来事だったので、今後自分も気をつけようと思った。いやぁ良かった良かった。
今は寝不足で大変頭がいたい。
明日は月曜日である。サザエさん症候群に陥らないように、テレビの電源はつけないと頑なに決めている。
今日は早く寝てまた明日から頑張ろう。
4/15 思い出
4月15日の15:30、自分は御蔭を少し北に行った鴨川のほとりに座っている。
例年だと雨などで散りがちな桜も、まだ満開に、憎いほどに綺麗に咲いている。この前研究室の先輩に聞いた話だが、出町柳より北の桜が見事なため、桜を切らなくても良いように京阪の路線が出町柳でストップしたのだという。なるほど、その話にも深く頷けるくらい立派で綺麗な桜である。
今こうしている間にも自分の目の前を絶え間なく人が往来する。あぁ春だ。
自分にとって春は思い出がよく思い返される季節である。新生活がスタートするということでそれ以前を振り返りたくなるのか、それとも春は思い出ができやすい季節なのか、それはわからない。
思い出といえば、以前母親と梅田にいるときに、母親が「大学生の時よくここに飲みにきたわ〜」と、いわゆる思い出話をしていた。その時ふと思ったのだが、世に言う「思い出」らしい「思い出」とは学生生活が終わるまでの「思い出」ではないか。母親が社会人になってからの話は聞いたことはあるものの、それは記憶であって思い出らしさはなかった。
これに気づいた自分に何ができるのか。これからの三年友達とたくさん遊んで思い出を作りたいのか。いや、まず時間のゆとり的に無理だ。
今パッと気づいたことだが、「思い出」は自然と思い出されるから思い出なのであって、記憶に残らないほど思い入れの少ないものはもはや思い出ではない気がする。しかし逆に、どれだけ少ない機会でも、全力で楽しみ、思い入れがあれば、後に十分な思い出になるのではなかろうか。
おそらくというか確実に、これから友達と遊べる機会は減るだろう。しかしその分遊ぶ機会があれば、今まで以上に楽しんで、後に思い出に昇華できたらなと思う。