日記

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4/2 幸せ

気持ち的には今日で春休みが終わりなので、生活習慣を戻すため早く寝ようと思ったが、全然寝られないのでこれを書いている次第である。

 

幸せとは何なのだろう。そもそも相対的なものなのか、絶対的なものなのか。それさえわからない。しかし、将来のために考えることを避けることはできない気もする。

2月の初めに悶々とし寝られない時期があり、そこでずっと考えていたがはっきりとした答えは出なかった。

 

誰かが言ったのか、本に書いてあったのかわからないが次のような言葉を覚えている。

「幸せとは考えて分かるものではなく気づくものだ」

 

ほんまかいな。気づいたんやったらそれ教えてや。ほんで気づくっていうのは普段考えとかないと気づかへんのか、それとも何も考えてんでもほんまにハッと閃くように気づくんかどっちなんや。と、ものすごい勢いで自分の中でツッコミが入った。

 

なんとなく察してはいるが、幸せとは何かという問いに対して、おそらく答えは出ない。というか答えが出ていたら全人類が幸せになっているはずだ。

 

というわけで最近自分は、日頃これが幸せなんじゃないか?という体験を集めてそこに共通項を見出すことで、なんとか幸せというものを言葉にしてやろうと企てている。

具体的な体験としては、

久しぶりに実家に帰るとカーキのMA-1がかかっていて妹も大学生になるのかぁと思った時、母親と親子という枠組みなしで幸せとは何かを話し合えた時などだろうか。幸せ!というよりかはあぁ幸せだなぁ〜〜というような感じである。

 

もちろん恋人や好きな子とデートしている時、思いがけないサプライズをしてもらった時や、バイト先の生徒に感謝の気持ちを伝えられた時なども幸せ!とは思うのだが、それは喜びのMAXであって上の家族内での体験のような種のものではない気がするのだ。

 

わからない。これから人生経験を積めばそのような体験がもっとできて、言葉にはできなくても、幸せというものの感覚をしっかりと掴めるのかもしれない。しかし、将来に大きく関わるであろう社会人になるタイミングまでに、はたしてそうなれているだろうか。うーん、甚だ怪しい。一々何かするごとにこれは幸せなのか?と考えるのはさすがに疲れそうだし。

 

まず今答えを出せる状態にあるのかもわからないし、なんなら無理に出さない方が良い気もする。わからん、わからんぞ。

 

なんかこの考え文章にしたらメンヘラみたいやけど、現実の自分はそこまで真剣に考えていない。でも文章にしてみると意外と長くなったしもしかしたらちゃんと考えているのかもしれない。わからん。

 

ほんまわからへんことばっかりやんけ!

 

勢いで書いたので乱筆具合がすごい。わからんってこの文章の中で何回言ってんの。ここまで自分以外に読んでいる人がいればお疲れ様ですすごいです褒めてあげます。また機会があればしっぽり飲みながら、自分の幸せとは何か教えてください。

 

というわけで今日は早く寝るつもりやったのにもうこんな時間。明日は桂までバスでちゃんと行けるかどうか確かめる日。頑張って起きてや自分。